この旅行は1999年の6月27日に慣行された
ものであります。
当時私は27歳、28歳の誕生日を明日に控え
休みを利用して出かけてみました。
文章はその後日家人に宛てて送ったEメールを
添付しました。
多少加筆はしてありますが出来るだけそのまま
にしておいたのでテンションが高い感はありますが
ご愛嬌と言う事で。
上はジンバブエの国全体の地図で、
下は首都ハラレから遺跡までの地図。
首都ハラレ
マスィンゴ
ハラレ
マロンデラ
マスィンゴ
グレートジンバブエ遺跡
この道を通る
←
ハラレ
マスィンゴ
大体往復600`の距離です。
上の表はどうやって見るんだろう・・・?
これかな?
↓
←
1999/6/27 AM 6:45
まだ薄暗い空を見上げ愛車「ピューマ号」に乗り込む。
先日納車されたばかりのオペル・ヴィータだ、この旅の
目的は@車のナラシ運転Aジンバブエバードの捕獲
B暇つぶしである。
ちなみにここ首都ハラレから、かのグレート・ジンバブエ
遺跡までは300`。はたして生還出来るのであろうか?
途中の道のりは大変険しいと聞く、よって今回は案内役
として大使館の派遣員であり会計補助のサハラ隊員の同行を依頼してある。
彼は頭脳明晰であり、しかも一度遺跡まで行っていると言うではないか!! 頼もしいガイドである事に疑う余地は無い。 ただ、不安が有るとすれば彼は朝が苦手である
という点。 しかし、今日は仮にも冒険の日。これから向かうサハラ邸ではすっかり準備の出来た彼が待っているであろう。

←愛車「ピューマ号」ドイツ車であるものの組み立ては
南アフリカと言う貿易摩擦対策車。ちなみに日本で売っている
同型モデルはスペイン工場で生産されているものが多い。
嗚呼、この日をどれほど待ちわびた事が!! そんな独り言をつぶやいているまにアボンデールの
サハラ邸に到着。呼び鈴を鳴らすと・・・・。
先日あれほど口をすっぱくして言っておいたのに「サハラ隊員」は私隊長自ら
オペル・ピューマ号で迎えに行くと、寝巻き姿で歯磨きをしながら登場・・・・。
「おはようございます、10分も早いじゃないてすか」と、「たわけっ!早く出発しない
と夕方までに帰れず危険ですよ」などと言ったのは君ではないかっ、と喉まで
出掛かった言葉を私は飲み込んだ。
いかん、いかん隊長である私か声を荒げては士気にかかわる、ここは穏便に
「ははは、構わんよゆっくり用意したまえ」などと分別の有る大人ズラをしてみた。
すると彼は嫌味が通じないのか本当にゆっくり用意し始めた、にわかに殺気立つ私。
「あー、日が高くなってきたね、絶好の出発日和だねそろそろ行こうか」とわざとらしく言うと。
「隊長さん僕の持っている資料見るにょー」などと言い整理していない書類
の山をかき混ぜ始めた。
結局予定より30分遅れて出発、各員シートベルトを締め射出の衝撃に備えよ!!
そう言ったとき「あっ地図忘れたー」とサハラ隊員。
出撃のテーマソングは昨日彼のステレオでダビングした、エアロスミスの
「アルマゲドン」の主題歌である。 いやがうえにも盛り上がる車内であった。
まずはグレート・ジンバブエに続く幹線道路へ出なければ成らない、サハラ隊員の
的確なナビゲーションで町を抜け出した、「後は一本道なのでらくちんちん」と余裕を見せていた。
ただただ本当に真っ直ぐな道を走っていく、サバンナが広がり少しの緑があればそこで
放牧をし家畜を育てる。日本のような道の駅や峠の茶屋などは無く、せいぜいトタン
造りの掘建て喫茶があるだけ。しかも電気も水道も無いのでコーヒーは無し、コークも
にゅるいとても飲めそうにも無いので止めた。もちろん電話も無いので車が故障すれば
「ハイ、それまでよ」である。 携帯電話はあるがアンテナはゼロ。
その後は好もうが好まざるが電波少年の出来あがりだね、なんて言ったら「ちょうど2人
だし良いかもね」と彼が答えた。 一瞬殺気が芽生えたが大人なので我慢する。
途中サルの軍団の度胸試しで散々目の前を横断されながらもとにかくグレジンの入り
口の町、masvingoマスヴィンゴに到着、300キロ強をジャスト3時間で走破。
予定通り、さすがアウトバーンの国の車、直進安定性の鏡である。
街に着いてまずはトイレと補給と散策をする、ガソリンは日本には無い(はず)の
「BP」で入れる、一度入れてみたかったのよね。
街を見て回ると典型的な田舎町でアジア人の姿は皆無でやけに僕らは目立っていた。
内心ジンバブエ・バードの捕獲に来た事がバレて騒ぎになるのではないか、と一人心配したが
サハラ隊員がトイレのドアが防犯上、平時はロックされておる事を知らず容易には入れ無い為
、入り口の前で足踏みしていただけで平和そのもの。
この町から30分程奥に入った所に目指す遺跡は有る、いやがうえにも緊張が高まった。
この先は前人未到の険しい谷間でまさに秘境なのだ日本で言えば奥秩父、
姫路ならば「そうめん滝」か。
気分は水曜スペシャル「川口浩探検隊」
グレートジンバブエ遺跡はこちら、などと言うノー天気な標識を確認してからすでに
30分が経っている、「本当にこっちだろうねっ」とサハラ隊員に確認すると
「間違いないにょー心配やさんの隊長さん」などとのたまうのでの少しむかついて来た、
嫌がらせにカーステレオで松任谷由実の「恋人がサンタクロース」
を外気温30度の所でかけてやった。そうすると彼は中々香ばしい表情をしていた、
ザマー見ろである、ほほほ。
そんなことをしているとやがて目的地に着いたので、この男もあながち嘘吐きではないな、
などと心でつぶやいたりした。
前人未到のはずのこの遺跡にはなんと瀟洒なプティ・ホテル、コッテージなどがあり、
資本主義サイコーな感じで戸惑っていると彼が「スコーン・ジャム付きとカプチーノ」
と平然とオーダーしたので「ばかっ、我々は探検隊だぞっ、そんな軟弱なことでどうするっ」
と言おうと思ったが美味しそうなので私も素直に食べた。
腹こしらえも終わってサハラ隊員が「駐車場からはすぐにょー」と助言するので歩いていたら
20分ほど舗装されていない道を歩くはめになって、さながら「パンヤオ」の様な絵ズラである。
入り口ゲートでディプロマティックIDカードを見せるとローカル料金で入場出来るので
カシコイ私は持ってきたのだか、何とサハラ隊員は忘れてきておるではないかっ!!
「はははははは、君は一般料金で入り給え」(大分高い)と言っていたら・・・。
「大丈夫だにょーゴルフの会員権持ってきたもんねー」とぬかす、そんなもので入れれば
苦労せんわっ!!と思っていたらアッサリ入れてもらえ「くうぅー」などと一人でうなってみた。

ほぼ垂直の石段をのぼりつめると古来の宗教に使われたと言う「祭壇」があり有名な
コニカル・タワーがそこにそびえ建つのであった私は「まるでラピュタの遺跡ではないか」
などとつぶやいていると「隊長さん写真取るにょー、ここでとらなきゃおばかさん」と、
まったく口の聞き方を知らぬ隊員である。
しかし、言葉に甘えて取ってもらうことにする。ポーズを取っている私を中々写さないので周りの
観光客が好奇の目で見ているではないかっ、早くしたまえと言うと「カメラ故障してるぷリー」
心当たりの有る私は「本当かね?」と聞くと「嘘にょー」などと答えた。
帰りのピューマ号には乗せないでおこうと誓った。

最後の遺跡のサークルを抜け、戻ろうとしたら背後からサルの軍団が現れた、滅茶苦茶な
大群である。いかん「アウトブレイク状態だ」未知のウイルスを持っている可能性がある。危険な目
に遭うまえに木の棒でシバキ、手早く菜種油で揚げて蕎麦に乗せ「天ザル」と言うわけにもいかぬ。
結局全力疾走で逃げた。

駐車場に戻り荷物を載せ、ホテルでステーキの昼食を取った。オーナーの子供たちもウイークエンド
なのでテーブルセッティングを手伝っていた、ジンバブエにしては適量な料理で好感が持てたが肉の
焼き方を聞いてきたにかかわらずカチカチのウェルダンであった「ミディアム」だっつーの。
帰りの道中サハラ隊員が「僕ちん。ミロのアイスが食べたい、食べたい」と、又しても規律を乱す
様な発言をした。が、私も食べたかったので素直に買う。
ハラレに戻る途中、田舎の集落に立ち寄ったがどこも開いておらず、開いている所もかなり
危険な香りがするのでガソリンスタンドでトイレだけ借りて先を急いだ。
夕闇が近くなってきた、もう直ぐタイムアップ。
6過ぎ、ハラレの「カリガモンベセンター」が見えてきた、戻ってきたのだ。
延べ12時間のアドベンチャーがこれで終わった、アボンディールで夕食を取りサハラ隊員の
フラットで日本茶を頂き、今日の反省会はしなかったが適当にだべってお開きに。
翌日大使のドライバーMrトーマスに片道3時間だった、と言ったら一言だけ「デンジャラス」。
素晴らしい光景、全てを見渡せる。

サハラ隊員、現在は一児の父。素顔は不明。 遺跡を大切に!!
この旅を支えてくれた派遣員サハラ氏に心より御礼申し上げます。
元気ですか? 食べに来てね♪
